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身体オタクのつれづれに,日記 京都|整体院


開業を機にブログ始めたオタクです。
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現代社会は情報過多?つづき

私たちの脳に毎秒送られてくる情報量(ビット数)はいったいどのくらいあると思いますか?
10ビット
100ビット?
1000ビット??
10000ビット???

実は、少なく見積もっても。。。
11000000ビット
もあるそうなのです。

各特殊感覚器からの振り分けとしては・・・
目10000000ビット
耳100000ビット
鼻100000ビット
舌1000ビット
皮膚1000000ビット
計1100万ビットとなる訳です。。。
あくまでも、「少なく見積もって・・・」な訳で、ここに内蔵感覚などもあるでしょうから、実際にはもっと膨大な数字となると思います。(一億ビット以上と言う研究者もいるそうです。)

で、入ってくる数はわかったとして、もっと肝心なのが、「私たちがその内のどれくらい感じ取っているか?」な訳です。

ま、少なくとも10/1くらいは感じ取っているんじゃないかと、僕は思ったのですが、実は・・・

私たちが感じ取っている(意識に昇る)のはたったの40〜50ビットなんだそうです。
(このビット数は研究者によっても様々で、16ビットあるいは1〜2ビットと言う研究者もいるそうです。)

11000000/50・・・220万分の1しか意識へと昇らないと言う事実は衝撃的でした。

よく「無意識」という言葉を口にしますが、簡単にいうとこの220万分の219万9999が無意識と言えるのかもしれません・・・
数字として明確に表すと、本当に恐ろしく感じてしまいました。
だって、「自分を知っている」なんて、幻想以外の何物でもないと言うことですからね・・・

それで、テーマの「現代社会は情報過多?」を考えていくと、、、

テレビから得られるビット数と言うのは毎秒400万ビット以上が送られますが、この50ビットと言う「意識の枠組み」から見ると、1秒間に50ビット以上の情報をどんなに頑張っても摂取できると言うことはない訳です。
また、テレビやその他の媒体からの「インプット」だけでなく、「アウトプット」となると、50ビットどころか、10ビットくらいが限界だと思います。

マイケル・ポランニーという人が提唱した「暗黙知」と言う概念があります。
これは、「誰かの顔を説明せよ」と言われても、頭に鮮明に思い浮かべたとして、伝えようとしても「目はちょっと下がってて、鼻はこう・・・尖ってるような・・・」となるように、言葉にできることの何倍ものことを知っていたとしてもそれを伝えることは容易ではない・・・どころか、殆ど不可能な訳です。

この「知っているけど、伝えれない」ことや、例えば「ヤな感じ・・・」や「何かあの人調子悪そう・・・」と言った、言語には明確に表せないけれども感じ取っていること、このことを「外情報」あるいは「メタ(上位)・メッセージ」と呼びます。
そしてこの「外情報」が、普段の私たちのコミュニケーションには大きなパーセンテージを占めているのです。
何せ、この「外情報」は読書で言う「行間」であったり、人の「機微」と言うものな訳で、210万分の219万9999が入った莫大な情報の「所在の在処」なのです。

哲学者の内田樹さんの学生たちの会話の話に、

学生A「お前、昨日なんで帰ったの?」
学生B「電車」

学生Aは帰った理由が知りたかったのであり、どんな乗り物で帰ったかは知りたくなかった訳です。
言葉の意味だけではこう取ったとしても問題ないのですが、学生Aと学生Bの関係性やそれまでの出来事や、言葉のイントネーションに含まれている「メタ・メッセージ」を正しく解釈することが出来れば、学生Bは「楽しくなかったから」や「用事があった」と、正しいレスポンスが出来る訳です。
コミュニケーションの多くはこう言った「メタ・メッセージの読み取りあい」であると言うのです。

くどいようですが、「外情報(メタ・メッセージ)」には私たちの会話の何万倍もの情報が潜んでいる訳で、この読み取りあいを無意識のうちに繰り広げています。
例えば「愛している」「ごめんなさい」「ありがとう」・・・
これらの言葉以外の「外情報」に矛盾が生じていれば、「その言葉は本当ではない」と感じる訳ですね。
また、有能なドクターやサービスマンなどはこの「外情報」を読み取るのが凄くうまく、診察室に入ってきた瞬間に循環器系の問題が分かったり、お客さんが何を欲しがっているかが分かったりできるのです。

で、ここまで書いて何が云いたいかを書きますと。。。

テレビや新聞には確かに膨大な情報が含まれているのですが、その「外情報」であったり、その情報が発信されるまでに「捨てられた情報」=「情報の質」の判断はつき難く、またよく言われるように一方向性の情報伝達であり、人と人との交流する「場」の形成はありませんし、視覚と聴覚以外の五感を通して入ってくる情報は皆無と言えます。
故に、一見情報に溢れ、情報過多と思われる昨今をこうした観点から読み解くと、情報に飢えた社会=「情報飢餓社会」が見えてきます。

ブームを超え、ある意味「定着」の域に来た感のある「癒しブーム」も、皮膚感覚をはじめとした情報飢餓から来ているのかもしれません。
私たちは中身のない「情報」でお腹いっぱいにされたような気になっているだけで、本当は「情報飢餓」故に、非言語的な「癒し」を求めているのかもしれません。。。

一見静かな徒手療法の世界にこそ莫大な情報があるのだと私は考えているのです。


と、下手な論文みたいになりましたが、頭では何となく分かっているようなことも、こうして数字で何となく理解していくと、何となくスッキリしたような気分になるような気がしませんかね??

元ネタはデンマークでベストセラーとなった、トール ノーレットランダーシュ (著),「ユーザーイリュージョン」と言う本です。
興味がある方は是非一読を!!もの凄く面白いです。

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by KARADA-OTAKU | 2007-06-21 22:19 | つれづれ
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